唐津線について

唐津線の歴史

はじまりは石炭の輸送

1898(明治31)年、唐津興業鉄道会社が、石炭の輸送のために妙見(現在の西唐津)、唐津、山本の3駅を開業。1899(明治32)年6月に山本から厳木へ、12月に薊原(現在の多久)まで開通し、翌1900(明治33)年4月に唐津鉄道に改称しました。
それまで川船に積まれて松浦川を下っていた石炭は貨車で運ばれ、唐津港から各地へ輸送されました。日清戦争(1894~1895)や、日露戦争(1904~1905)による石炭需要もあり、1907(明治40)年に国有化され、1909(明治42)年の線路名称制定時に長崎線の支線の唐津線となりました。
その後、1972(昭和47)年に多久市の炭坑が閉山。最後に残った大島-西唐津間も1982(昭和57)年に廃止され、貨物列車は走らなくなりました。
現在、普通列車がトコトコ走る唐津線は100歳を越え、地元住民や高校生の足として、ゆっくりとした時間のなかを進んでいます。

鉄道

石炭

 

鉄道遺産

転車台

燃料や水を搭載する炭水車(テンダー)を連結した蒸気機関車は、後方の視認性が悪いため、バックが困難でした。そのため、蒸気機関車を方向転換するための転車台(ターンテーブル)が各地の車両基地や拠点駅・起終点駅備えられました。蒸気機関車の廃止に伴い、その多くが撤去され、あまりその姿を見ることはできません。
上路式転車台が、唐津運輸センターに現在も残っています。

転車台

 

厳木駅の給水塔

厳木駅のホームの傍らには、明治32年に作られたレンガ造の給水塔が残っています。蒸気機関車のボイラーには常に水を補給しなければなりません。長く走るということは、大量の水を消費するということです。蒸気機関車が現役で走っていた時代は、機関車に水を補給するためにの給水塔が各地の駅にありましたが、その役目を終えた給水塔は解体されていきました。 厳木駅の給水塔はほぼ完全な姿で残っています。
かつて石炭の積み出し駅として賑わった歴史の遺構は、いまのどかな周囲の風景に溶け込み、人々に懐かしい時代を思い起こさせています。

給水塔

給水塔

 

映画の撮影

1997年に公開された映画「東京日和」の撮影が厳木駅で行われました。写真家、荒木経惟と、その妻、陽子による写真エッセイ集を映画化したもので、竹中直人が監督・主演をつとめています。
主人公のカメラマンが亡き妻を回想する物語で、主人公2人の心を写し出すひとつひとつのエピソードを、やさしく、あたたかく綴っていきます。まるで懐かしいアルバムをめくるようにしみじみと心にしみる映画です。厳木駅は、夫婦が結婚8年目の記念に旅行に行く場面で出て来ます。
ひまわりが咲き乱れる駅がとても美しい、印象的なシーンです。

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唐津線利活用・電化促進期成会

【目的】

唐津線の利活用の促進及び利便性の向上を図り、もって電化の実現を目指します。

【組織】

佐賀市、唐津市、多久市、小城市及び佐賀県の5団体で組織。

【唐津線の現状】

JR唐津線は、久保田~西唐津を結ぶ路線で、路線距離は42.5km、駅の数は起終点駅含め13駅、全線単線の非電化ローカル線です。列車はすべて普通列車で、ワンマン運転を実施しており、地域の通勤や通学などの利用に欠かせない存在となっています。
乗降客数の直近6年間の推移をみてみると、利用者数は年々減少し続け、平成12年度と平成17年度を比較すれば、約1割減少しています。
唐津線の電化の実現には、沿線地域の皆様に地域の移動手段として利用していただくことが何より重要です。

唐津線利活用・電化促進期成会

 

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